SPUR 5月号『マリウス葉の"一歩ずつ進もう"』を読んだ

 

 

 

世界が日に日に姿を変えていく。

外出禁止を命じられた他国のニュースを見ながらフィクションのようだとどこか他人事に思いつつも、他者の生命を軽んじる発言や行動にどうしようもなく悲しくなったり、飛び交うヘイトや噂に心を擦り減らしたりしていた。出口の見えないトンネルを歩き続けるような不安でピリピリした気持ちを和らげるために心が踊る可愛いものが見たくてSPURを購入したらSexy Zoneのマリウスくんが載っていた。

 

 

その内容がとても良かったので少し救われた。

 

私はジャニオタを自称しているが、正直Hey!Say!JUMP以外のジャニーズについてはあまりよく知らない。デビュー組ですら顔と名前が一致しなかったりするくらいの知識しかない。ただマリウスくんは素敵な考え方をする子だという事や、品のある佇まいが目を惹くなぁという印象があった。

 

マリウスくんといえば昨年夏に放送されたTHE MUSIC DAYで『lol patriarchy(家父長制とかウケる)』と書かれたTシャツを着ている姿がジャニオタ内外問わずちょっと話題になっていたのを覚えている。

よく”デザインが気に入ってい購入した洋服のワードを訳すと予想外の言葉だった”という笑い話はあるが、マリウスくんの場合はこのメッセージを理解し支持しているから購入したんだろうと疑わなかった。これは”そうであってほしい”という願望というより、彼が普段発信している言葉から得たイメージだ。

彼の発言を意識的に追っているわけではない私ですら、そういったイメージを以前から抱いていた。ならばきっと、彼のファンはもっとたくさん彼から発せられる社会問題へ対するメッセージに触れているんだと思う。

 

 

https://wezz-y.com/archives/75156

この記事の中で昨年マリウスくんがSPURに登場した時の言葉が少し載っていた。

 

「これだけのことを考えている19歳は、日本にはなかなかいないのでは」という質問に対し、「そうではなくて話せる場がないのだ」と答えている。 

 <僕のように考えている人がいないわけじゃなくて、こういう話をできる場がないんじゃないかと思います。僕は影響力の強い大きなプラットフォームを持っていて、他の人とは状況がまたちょっと違いますよね。だからこそ、発言していかなくてはならない。自分が学んだことを、同世代や周囲の人に伝える責任がある。発言する機会を与えられないコミュニティもある。そういう人たちを代弁するのではなく、彼らが声を上げられるような場所をつくっていきたいんです>

 

この考えにとても感動した。彼はアイドルという立場から”自分だから出来ること”をしっかりと意識している。

海外のアイドル事情は知らないが、日本のアイドルはニコニコと従順で主張が控えめなタイプが支持を得やすい印象がある。いや、これアイドルに限らないか。著名人が社会問題について自身の考えを発信すると、まるで犯罪予告でもしたかのように責め立てられたり「海外に感化されてる」などと嘲笑を受けたりすることは多々見かける。その様子を見て自身の意見を主張する事へ恐怖を感じ、口を閉ざしてしまった人は芸能人でもその他の職業に就く人でもきっと多い。

マリウスくん自身もそういったリスクは勿論理解していると思う、それでも自分が発言することで「声を上げてもいいんだ」と救われる人がいる、少しでも生き易くなる人がいるということを優先した彼の行動は本当に素晴らしいことだし心から尊敬する。

 

他者に対してリスペクトを持ちフラットに物事を考えられる人だと思う。

自分と考え方の違う相手と対峙しても「貴方とは理解し合えない」と切り離すではなく何故相手はそういう考えに至ったのか理解しようと歩み寄る姿勢を持ってる人。

個人的にコミュニケーションとは本来そういうものだと思っている、どんなに気の会う友人でも100%全てに共感するなんて出来ない。だから「その考えは自分とは違う」と意見の交換で新たな価値観を形成したり、自身の間違いに気付けたりするわけだけど「それはもっとこうした方がいいんじゃないかな?」という指摘でさえ”自分を否定された”や”攻撃された”という受け取り方になってしまう人も少なくない(実際悪意を持って否定する人もいるが)

それって多分、自分の意見を言うことで心無い扱いを受け傷付いた経験のある人が多いからだと思う。それ故に”良いコミュニケーション=共感・否定しないこと”になってしまい、さらに意見が言い難くなったり受け入れ難くなる悪循環に陥っているのかなぁと何となく感じる。

今回のSPURでマリウスくんのそういう考え方はお姉さんの影響であると言っていた。お姉さんは芸能人ではないので対談という形を取ることは難しいだろうけど、お二人が普段どういった会話をしているのか凄く気になる…。アイドル誌引っ張り出したらエピソード出てくるかな?

 

 

 

 

今回のSPURで”「インターナショナルスクールから日本の高校へ転入して黒以外の髪色は地毛だと証明しなければいけないことへ窮屈さを感じ友人と一緒に『革命を起こそう』と活動を始めた。『なんでスカートをはかないといけないのか』と悩んでいた友人とジェンダーレスの制服をつくる署名を200300人分集めて学校に提出し、卒業後母校にジェンダーレス制服が出来た」という話が載っている。

 

きっかけは地毛証明に対する窮屈さかもしれない。マリウスくんは身体的に男性なのでスカート着用を強制されることはない、彼がスカートを履きたかったかどうかは知らないが話の流れ的にスボン着用へ不満があったようには感じられない。それでも悩んでいる友人の為に声を上げていることへ優しさと聡明さが現れているなと思った。

彼がこの行動を起こした目的は「悩んでいる友人を助けたい」「声を上げることの大切さ」の二つの意味があったんじゃないかと感じた。これはまぁ私が勝手に感じているだけなのですが…。

 

余談だけど地毛証明の話で対談されている長島さんが「地毛の証明って、いまだにやってるんですね」と言っているが私も読みながら全く同じ反応をしていた。自分が学生時代なんとなく「この文化も私達が卒業後くらいにはなくなるんだろうね~」という会話をしていた覚えがある。私とマリウスくんでは小学校被らないくらいの年齢差があるのだが、彼の時代もそして現在もそのような規制は続いてるらしくなんとも馬鹿らしい。個々の学校で生徒たちが訴えかけ廃止する方法もあるけど、それよりもっと根本的に全国一律で廃止に出来ないだろうか。

 

ジェンダーレスの制服、もっと増えてそれが当たり前になるといいな。

私が学生だったころ地元でも女子の制服がパンツかスカートか選べる学校ができた、これは女子がボトムスを選べえるというだけでジェンダーレスとは違ったのだが当時学生だった私たちの中でなかなかホットな話題であった。最初こそ「デザイン可愛くないよね、スカートの方がいいや」という話をしていたが「でも冬場は冷えて体調崩すからパンツがいい」「通学中に電車でスカート切られて以来ジャージで登校してる子いるし、ああいう子にはパンツ認めて上げてほしい」とみんなパンツスタイルへ賛同していた。

 

ジェンダーレス制服が実施されている学校でどういった基準を設けているのかわからないが心と体の性別に関するもの以外にもスカート・ズボンを避けたい生徒はいるはずだ。そういう子も皆自身に合った服装選択をすることが当たり前になってほしい。私自身、体質的に体温調節が出来ない人間なのでパンツスタイルを許可されていたなら冬はそっちを選んだかなと思うし男子も夏場にあのしっかりとした生地のスラックスを履くよりスカートやキュロットの方がずっと快適だと思う。

そもそも制服が必要かという話になるが、ジェンダー問題・初期費用の高さ・手入れ・性的搾取等問題は多々あるが学校生活において貧富の差を隠す面では必要かなと思っているので私は賛成派だ。

 

制服のジェンダー問題は#KuTooの話に近い。

個人が好んで履くのは自由だけど、周囲がそれを強制するのはよくない。先ほど書いたが私は体温調節が出来ないくて身体が冷えるから冬場制服のスカートはちょっと嫌だった、でもそれは防寒具の規定がある学校という場であったから嫌だと感じたのであって休日に分厚いデニールのタイツを履いてブーツに暖かいコートを合わせスカートを履くのは好きだった。パンプスだってそう、休日にオシャレとしてパンプスを履くのは好きだがパンプスを履くことで利益を得られる訳でもない職場でパンプスを強制されたら上司に詰め寄ると思う。

今の職場は服装に厳しい規定はない、以前はアパレル業界にいたので自社商品を着用しなければならないと一応なっていたが、幸運なことに店舗や本部の上司は足に合わない靴の辛さを知っているため「靴は無理せず好きなの履きなよ」と言ってくれていた。スタッフが着用することで売り上げに直結するアパレル販売ですらそのような扱いであるパンプスを”なんとなくそっちの方が見栄えがいいから”という理由で強制するのはもう今の時代で終わりにしたい。業務と関係ない部分で痛みに耐えながら働くの、なんか単純に効率が悪いので…。

因みに”走れるパンプス”や”踊れるパンプス”というものも最近多いけど、こんにゃく足+かかとが真っ直ぐの私みたいな足ではオーダーメイドすら痛みなく走ったり長時間歩き続けるのは無理です。

 

”学校や仕事の制服として矯正されたくない、でも休日はそれを履きたい”という主張になんら矛盾は無いんですよね。服を着る目的も活動場所も違うので当たり前のことだ。パンプスを悪だとしているわけではなく、ただ他者が無意味に他人の服装を強制するのは辞めようというシンプルな話。

 

 

 

 

 

話は少し飛ぶが2013年にニュージーランド同性婚が認められた時のモーリス・ウィリアムソン議員のスピーチが凄く心に残っている。

 

https://www.huffingtonpost.jp/2017/11/25/nz-gay-marriage_a_23288119/

 

今、私たちがやろうとしていることは「愛し合う二人の結婚を認めよう」。ただそれだけです。 

 

 外国に核戦争をしかけるわけでも、農作物を一掃するウイルスをバラ撒こうとしているわけでもない。  お金のためでもない。単に、「愛し合う二人が結婚できるようにする」この法案の、どこが間違っているのか。だから、本当に理解できないんです。

なんでこの法案に反対するのかが。自分と違う人を好きになれないのはわかります。それはかまいません。みんなそんなようなものです。  

この法案に反対する人に私は約束しましょう。

 

水も漏らさぬ約束です。  明日も太陽は昇るでしょうし、あなたのティーンエイジャーの娘はすべてを知ったような顔で反抗してくるでしょう。明日、住宅ローンが増えることはありませんし、皮膚病になったり、湿疹ができたりもしません。布団の中からカエルが現れたりもしません。明日も世界はいつものように回り続けます。だから、大騒ぎするのはやめましょう。

 

この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです。

 

 

この言葉を、特に最後の一文は常に心へ留めている。他人の主張が他者を攻撃するようなものでないならば、それが私に関係ないものだとしても誰かの生活が今より豊かになるのなら支持をしたいし、たとえ支持をするほど理解が出来なくてもせめて水を差さぬようにしようと考えるようになった。

他人の生活が豊かになったところで私自身の生活も豊かになるわけではない。それでも、もしかしたら自身の生活が豊かになった事で周りに手を差し伸べようと考える人が増えるかもしれない、その救いの手にいつか私自身や自分の大切な人が助けられるかもしれない。甘い考えだと思われるだろうけど、優しさの連鎖というものを信じている。

 

マリウスくんがジェンダーレス制服に対し署名を集める活動をしたことも「この法案は関係がある人には素晴らしいものですが、関係ない人にはただ、今までどおりの人生が続くだけです」に近いものを感じたから、こんなに心へ響いているのかもしれない。

 

 

マリウスくんはSPURの中で「この連載が、皆の興味を探求しお互いの意見を交し合える場になれば嬉しい。多様性を尊重し合い、理解していくために一歩ずつ進んでいきたいです」と言っている。

勿論SPURは彼のファンだけではなく幅広い年齢層が読んでいる雑誌であるが、彼はこの連載を通じて自身のファンへ「多様性を尊重すること・考えを発言することの大切さ」を伝えていきたい、それが自分の責任だとそう考えているのだろう。

私はすごくマリウスくんのファンが羨ましくなった。勿論、今現在応援しているグループが嫌だというわけではない、大好きだ。ただ、私がもっと若く今のマリウスくんが発するメッセージに触れていたなら今まで無意識に傷付けていた人たちの人数を少し減らせたんではないかなという意味で羨ましかった。羨ましがっても過去は変えられないので彼のメッセージをしっかりと受け止めて過ごして行こうと思う。

 

 

アイドルに求めるものは何なのか、私が現在好きなアイドルの求めているものはステージ上での心踊るようなパフォーマンスだ。彼らに対して優しい人だな・強い人だなと内面的なものへ好感を持つこともあるがそれを求めているかというとそうではない、常識に反する行動はしてほしくないが正直ジャニーズという一つの身体的性別だけで構成された特殊な集団の中で幼い頃から育ってきた彼らに多くを求めようと思わなかった。そういった一面を見れたらラッキー、あとは世間で批判されない程度に当たり障りなくしていただければ…くらいの気持ちでいた。

 

でもマリウスくんの「僕は影響力の強い大きなプラットフォームを持っていて、他の人とは状況がまたちょっと違いますよね。だからこそ、発言していかなくてはならない。~略~ そういう人たちを代弁するのではなく、彼らが声を上げられるような場所をつくっていきたいんです」という言葉がとても胸に響いている。私は多分アイドルに希望であってほしいのだ。

声を上げていいということ、声をあげることを肯定してくれる人がいること。それは今現在、何かに傷付き悩んでいる人間へ対するエールであり希望だ。そして彼の行動は悩んでいる当人だけではなく、その周りで様子を見ていた層にもきっと伝わっていると思う。周囲へ手を差し伸べる勇気を与えている。

 

実際、自分が苦しんでいることを周囲に主張するのが苦手な人間は多いと思う。こんなに苦しいのに、訴えをあげ否定されたらもう立ち直れないかもしれないという恐怖。でも彼の「悩んでいた友人と共に行動を起こした」というエピソードをかっこいいと感動し、同じように周囲の友人へ手を差し伸べる彼のファンがいるかもしれない。すごく、すごく良い影響だ。

 

自身や大切な人を守るための主張が、結果的に他の人も守ることになるしその逆もまた然りだ。実際、私が今なんとなく暮らしている中で先人たちが女性の権利を主張し続け戦ってくれたおかげで恩恵を受けていることはとても多い。私は心身ともに女性であるからどうしてもそちらへ目線がいってしまうが男性やどちらでもない性別の方も周囲に決めつけられたイメージに対する意見をもっと言っていいし、その主張へ自分に出来る事があるなら力を貸したい。

 

昨今マリウスくんやりゅうちぇる等、若い世代のジェンダー観が話題になることが多い。彼らに共通することはジェンダーに問わず他者に対するリスペクトがあるということだ。ただ相手の考えを受け止める、それが共感でなくても”受け止める”ということが大事なのだと実感させられる。相手の考えに耳を傾け自身の考えを伝える、そういったコミュニケーションがきっと多様性を受け入れることへの一歩なんだろうと今一度背筋を伸ばすきっかけになった。私はあまり優しい人間ではないし賢くもない、だからこそ他人の価値観を知ることは大切だと日々思い知る。

長島さんの著書もすごく気になるので近々読みたいな。

 

 

見開き2ページインタビュー、決して文字数が多いわけではないのだけど素敵な内容だった。

あと他のページの春服がとっても可愛い、カラフルなシアーやプリーツの布は目から心が潤うような可愛さで最高だから是非手にとってみてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最後に私がマリウスくんに対して初めて素敵な考えだな と思った話をする。

duet 2017年11月号の

 

「笑いをとるためにイジリに頼りすぎじゃないかな。もっと相手の立場を上げるようなトーク力を身につけられられたらいいのになって。そのためには、おたがいのことをもっと知らないといけないよね」

 

という発言だ。

普段アイドル誌は好きなグループのページしか見ないので何故このコメントを読んだのか覚えていないのだけど、当時17歳グループ最年少の少年がこういった発言をできるSexy Zoneはなんだかとても信頼できるなと思った。

他グループのことをほとんど知らない私ですら最近イジリがキツいのではないかと一部で話題になっていたことは耳していた。

ただジャニーズは特殊な環境で育っているし、年長者が末っ子を可愛がりすぎた故に当たりがキツく見えるというのは珍しくない事だと思っていた。私自身、兄弟で末っ子+親戚合わせても最年少だったため泣くまでからかわれ続けた経験も多々あった、ただ兄弟やいとこ達が私を嫌っているわけではなく拗ねたり泣いたりする姿をなんだか可愛らしいものとして笑っていたのも伝わっていた(不快であることに変わりはないのだが)

 

だから最初は「ジャニーズは兄弟みたいなものだしあまり気にしなくても」と考えていたのだが、これって結局私の実体験に基づく主観であって、例えばいじめや虐待にあった経験のある人間が見たらどうなのだろうか…、その辛い経験がフラッシュバックしないと言い切れるのだろうか…と考えを改めた。

 

以前、3年程前かな?ジャニーズJr.の舞台で他人のTシャツを踏みつけて笑いをとっていた場面を見て、自分がいじめられていた時を思い出し辛くなったというツイートを見た。

私はそのJr.が誰だったかも知らないし、どんな流れでそんな行動をしたのかもわからない。でも多分ステージ上で披露してOKと考えていたなら本人たちに悪意はなかったと思う。

それでもアイドルとして人前に立つ以上、彼らの内心や関係性に関わらず配慮は必要だ。観客が辛い思い出をフラッシュバックすることもあるし、ジャニーズは若いファンも多いのでそれが「面白いもの」として真似をする子が出てくるかもしれない。

なんというかファンに若い子が多いグループほど”教育にいい存在でいてほしい”という想いがある。そして多分マリウスくんはそういうものを理解してアイドルを背負っているんじゃないかとSPURを読んで感じた。

 

 

私は強いイジリや他者を尊重しない扱いが苦手でテレビを見なくなった。なんなら5年ほどテレビを持っていなかったし、今でもテレビ特にバラエティーは滅多に見ない。

マリウスくんのような考えのタレントが増えたら…、いや多分同じような考えの方もいるはずで、その考えがメディア側で受け入れられ当たり前になっていけば、もっと人々が生きやすく、他人とフラットに意見を交わしやすい世界になるんじゃないかなと思っている。私はそうなってほしい。